母国ブラジルの現実
私が生まれたブラジルのサルバドール市は植民地時代にはブラジルの首都として栄えた港町で、比較的豊かな地方でした。そんな平穏な町で育った私の心の奥底に“悲しみの現実”として影を落とし続けたのは、国民の4分の1に達する貧困者の事でした。事実私の祖父母は貧困の中に育ち、両親も必死に働きながら私達を育ててくれました。“カーニバルやサッカー”など明るいイメージの多いブラジルは、実をいうと世界最大規模の貧富格差が存在する国なのです。サッカーでセレソンを夢見る貧困層の子どもたちの多くはまともに食事も出来ず、教育の機会を奪われ、犯罪に巻き込まれているです。
日本のすばらしさ、そして・・・
世界最大の貧富格差大国ブラジルを再認識させられたのは、第二の故郷とも言える日本に来てからでした。海や山の美しさや豊かさはブラジルと同じようにすばらしいのですが、私が見てきたような極度の貧困者がどこにもいないどころか、ファーベラ(※1)のようなスラム街も見当たらないのです。日本のすばらしさを実感する事により、母国ブラジルの貧困問題が本当に悲しい状態であると再認識させられたのです。 日本の生活にも慣れ、温かい大分の人々に触れるにつれ、私の中に「行動をしなければ」という気持ちが強くなったのは偶然ではなく、必然だったのです。私は皆様の支えにより、限られた人しか経験出来ないような人生を送らせて頂いております。そして私が多くのサポーターに支えられてきたように、私もサッカーの発展の為、未来を担う子どもたちの為に“社会貢献プロジェクト”を立ち上げ、まずはブラジルで極度の貧困に悩む人々を少しでも手助けをしようと考えました。
※1 インフラが全く無く、誰も住めないような断崖絶壁や水はけの悪い土地で形成されているスラム街がファーベラです。ブラジル国内におよそ3,500ヶ所ほどあると推定されています。
社会貢献プロジェクトの最終的な到達点は財団をつくる事です。そしてその財団を通じて柱となる事業を継続的に実施していく事が私の目標です。その柱とは・・・
- ・ブラジル国内の貧困で悩む子どもたちにスポーツをする時間や場所の提供をする。その為に必要な、例えばサッカーボールの提供や、もし食事をするのが困難な状況にある場合、練習に来た子どもたちに食事を与えるなどの活動まで広げていく。
- ・日本の子どもたちにもスポーツを通じて一生懸命に頑張る事のすばらしさを実感して頂けるような活動をする。
- ・出来る限り多くの方々とお会いし、スポーツのすばらしさをお伝えする。
- ・日本とブラジルの架け橋となるべく活動をする。